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2025年JLPGAプロテスト1次予選B地区 概観
女子プロゴルフの世界において、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)のプロテストは、最も過酷で、そして最も栄光ある門の一つとして知られている。毎年、数百人の才能ある選手たちが、人生を賭けてこの狭き門に挑む。
2025年7月2日から4日にかけて、茨城県石岡市のサミットゴルフクラブを舞台に開催されたプロテスト第1次予選B地区は、まさにその夢と現実が交錯する「crucible(試練の場)」であった 。
全長6,481ヤード、パー72に設定されたチャンピオンシップコースに、117名の挑戦者たちが集結した 。彼女たちの目標はただ一つ、3日間の戦いを生き抜き、2次予選への切符を手にすること。そのための条件は「35位タイまで」という、極めて厳しいものだった 。
最終的に、カットラインは通算イーブンパー(216ストローク)となり、38名が次のステージへと駒を進めた 。この結果は、1打の重みが選手の運命を左右するプロの世界の厳しさを、改めて浮き彫りにした。
この緊迫した戦いの中で、一人次元の違うゴルフを展開したのが乗富結だった。3日間を通して安定したプレーを見せ、最終的に通算15アンダーという驚異的なスコアを記録 。
2位に5打差をつける圧勝で、B地区を首位通過した。2日目終了時点で既に通算9アンダーの単独首位に立っており 、その実力は疑いようがなかった。乗富のプレーは、単なる予選通過ではなく、最終プロテスト合格、さらにはツアーでの活躍を予感させるに十分な、力強いメッセージであった。
この予選会の結果は、単なる順位表以上の意味を持つ。イーブンパーというカットラインは、JLPGAツアー本戦で予選を通過するために求められるスコアレベルと重なる。
一方で、乗富が記録した通算15アンダーは、多くのツアー競技で優勝争いに加われるほどのスコアである。
つまり、この3日間の戦いは、プロツアーの1週間を凝縮したような構造を呈していた。ある選手は生き残りをかけて必死にパーを拾い集め、またある選手は圧倒的なスコアで他を寄せ付けない。
B地区の結果は、プロゴルファーとしてのキャリア全体が内包する、生存競争の厳しさと頂点に立つために必要な卓越性の両方を、鮮やかに描き出したのである。
2025年JLPGAプロテスト1次予選B地区 最終成績(上位15名)
順位 | スコア | 選手名 | TOTAL |
1 | -15 | 乗富 結 | 201 |
2 | -10 | 佐渡山 理莉 | 206 |
3 | -9 | 伊藤 愛華 | 207 |
3 | -9 | 谷田 侑里香 | 207 |
5 | -8 | ルー・チエンホイ | 208 |
5 | -8 | 長谷川 せら | 208 |
7 | -7 | 木村 円 | 209 |
7 | -7 | 島田 紗 | 209 |
9 | -6 | 小林 照菜 | 210 |
9 | -6 | 佐藤 美優 | 210 |
9 | -6 | 山﨑 みくは | 210 |
9 | -6 | 坂口 瑞菜子 | 210 |
13 | -5 | 塩手 莉彩 | 211 |
13 | -5 | 木村 美月 | 211 |
13 | -5 | 長谷川 愛美 | 211 |
13 | -5 | 新藤 励 | 211 |
13 | -5 | 鬼塚 貴理 | 211 |
唯一の夢へと続く多様な道
プロゴルファーになるための道は、決して一つではない。B地区を突破した選手たちの顔ぶれは、その事実を雄弁に物語っている。彼女たちはそれぞれ異なる背景、経験、そして動機を胸に、同じ夢を追いかけている。ここでは、特に注目すべき4人の選手の軌跡を追う。
B地区予選通過の注目選手プロフィール
選手名 | 年齢 | 予選結果(スコア/順位) | 主要な経歴・背景 |
乗富 結 | 27歳 | -15 / 1位 | ティーチングプロとしての顔も持つ、完成度の高い実力者 |
佐渡山 理莉 | 25歳 | -10 / 2位 | 7度目の挑戦。「今年が最後」の覚悟で臨むベテラン |
谷田 侑里香 | 26歳 | -9 / 3位タイ | 米国大学ゴルフを経て、米下部ツアーを主戦場とする国際派 |
鬼塚 貴理 | 24歳 | -5 / 13位タイ | 世界王者スノーボーダーを姉に持つ、異色の経歴の持ち主 |
高原 花奈 | 22歳 | -1 / 27位タイ | 壮絶なドライバーイップスを乗り越えた不屈の精神 |
乗富結の圧倒的な力
通算15アンダーで首位通過を果たした乗富結は、そのスコアが示す通り、他の選手とは一線を画す存在感を見せつけた 。
1997年生まれの彼女は、若手の新星というよりは、既に完成された実力者というべきだろう。彼女のプロフィールには「ティーチングプロ」という肩書があり、ゴルフスイングに対する深い分析力と理解が、その安定したプレーを支えていることは想像に難くない 。
ドライバーの平均飛距離240ヤードに対し、得意クラブとして8番アイアンとピッチングウェッジを挙げる点からも、パワーだけでなく、精度とスコアメイク能力に長けたプレースタイルがうかがえる 。彼女の勝利は、一時の勢いではなく、長年の経験と研究に裏打ちされた、成熟したゴルフの賜物である。
佐渡山理莉、7度目の挑戦
通算10アンダーの単独2位で予選を通過した佐渡山理莉の戦いは、多くのゴルフファンの胸を打った 。
今回が7度目のプロテスト挑戦となる彼女は、並々ならぬ覚悟でこの予選に臨んでいた 。「(受験は)今年までかなと思っています」と公言し、自らのキャリアに一つの区切りをつける覚悟を示していたのだ 。その決意の表れとして、今シーズンから名コーチとして知られる石井忍に師事し、練習拠点を関西から関東へ移すという大きな決断を下した 。
過去6度の失敗がもたらすプレッシャーは計り知れない。彼女自身、「自分のなかの悪魔に負けないように」と語るように、最大の敵はコースではなく、自らの心の中にいた 。その内なる敵に打ち克ち、堂々の2位通過を果たしたことは、スコア以上の価値を持つ、精神的な大勝利であった。
グローバルな挑戦者、谷田侑里香が持つ米国のエッジ
通算9アンダーの3位タイで通過した谷田侑里香は、異色の経歴を持つ 。高校・大学時代をアメリカで過ごし、ミシガン州立大学のゴルフ部で活躍 。
卒業後はLPGA(米国女子ゴルフ協会)ツアーの登竜門であるエプソンツアーを主戦場としてきた 。彼女が日々戦っているのは、世界中からトッププロを目指す選手が集まる、極めて競争の激しい環境だ。
絶え間ない移動、毎週のように続く予選通過へのプレッシャー、そして1打差で涙をのむ経験は、彼女の精神を鋼のように鍛え上げた 。
日本のプロテストが持つ独特の緊張感も、米下部ツアーで日常的に経験する生存競争の厳しさに比べれば、乗り越えるべき一つの試練に過ぎないのかもしれない。そのタフな経験が、B地区での安定したパフォーマンスに繋がったことは間違いない。
鬼塚貴理のユニークな旅路
通算5アンダーの13位タイで予選を突破した鬼塚貴理もまた、ユニークなバックグラウンドを持つ選手だ 。
彼女の姉は、スノーボード・スロープスタイルの世界選手権王者であり、オリンピアンでもある鬼塚雅 。
その存在は、彼女に特別な注目とプレッシャーを与えてきた。ジュニア時代には九州ジュニアを制するなど輝かしい実績を残したが 、すぐにプロの道へは進まず、2023年12月にJLPGAティーチングプロA級の資格を取得した 。
ゴルフを始めたきっかけがテレビゲームだったというエピソードも持つ彼女は 、一度プレーヤーとしてのキャリアから距離を置いた後、再びプロテストの舞台に戻ってきた。彼女の挑戦は、ゴルフキャリアの第2章とも言える、新たな物語の始まりである。
これら4人の物語は、JLPGAへの道筋が多様化している現状を明確に示している。
かつて主流であったジュニアエリートから直接プロへという一本道だけでなく、谷田のような米国大学経由の国際ルート、佐渡山のように国内の下部ツアーで粘り強く戦い続ける道、そして乗富や鬼塚のようにティーチングプロという資格を得てから再びプレーヤーとして頂点を目指す道など、複数のキャリアパスが確立されつつある。
B地区を通過した選手たちの多様な経験は、今後のJLPGAツアーに新たな深みと面白さをもたらす可能性を秘めている。
高原花奈の物語
今回のB地区予選において、順位以上に大きな意味を持つ合格を果たした選手がいる。通算1アンダー、27位タイで2次予選進出を決めた高原花奈だ 。
彼女の予選通過は、単なる結果ではない。それは、プロゴルファー生命を脅かすほどの深刻な苦悩を乗り越えた、不屈の精神の証明であった。
ドライバーイップスとの闘い
プロゴルファーにとって、ドライバーが打てなくなる「イップス」は、キャリアの終わりを意味しかねない致命的な病だ。
高原は、まさにその悪夢に苛まれていた。彼女は当時の心境を「ティイングエリアに立つと泣きたくなる」ほどだったと語っている 。
ゴルフ場に行くこと自体が嫌になるほどの恐怖 。それは、単なる不調ではなく、心と体が完全に乖離してしまう、出口の見えないトンネルだった。
過去に3度プロテストに失敗している彼女にとって 、そして147cmという小柄な体格で戦う上で生命線となるはずのドライバーが言うことを聞かないという事実は、絶望以外の何物でもなかった 。
テクノロジーと執念の勝利
しかし、高原は諦めなかった。彼女が選んだのは、精神論や根性論で乗り切るという旧来の方法ではない。
テクノロジーとデータを駆使した、極めて現代的なアプローチだった。転機となったのは、弾道測定器「フライトスコープ」などを活用した徹底的なスイング解析の導入である 。
データは、彼女のスイングのどこに問題があり、なぜボールが曲がるのかを、客観的な数値として突き付けた。高原自身が語るように、ミスの「原因」が分かったことで、漠然とした恐怖は消え去った 。
恐怖の正体は、結果が予測できないことにあった。データは、その予測不可能性を取り除き、問題を解決可能な課題へと変えたのだ。さらに、VATIC GOLFでのフィッティングを通じて、自身のスイングに合ったクラブを見つけ出すなど、用具面からのアプローチも行った 。
その結果、彼女は恐怖心なくドライバーを振り切れるようになり、飛距離も伸びたという 。それは、ごまかしながら振るのではなく、自信を持ってスイングを取り戻した瞬間だった。
スコアカードを超えた勝利:最初の関門突破
そして迎えた2025年のプロテスト1次予選B地区。高原は3日間を戦い抜き、通算1アンダーの27位タイで見事に通過ラインをクリアした 。
この結果は、彼女にとって、これまでの苦闘が報われた何よりの証しである。データに基づき、科学的に自身の問題と向き合ったアプローチが正しかったことの証明であり、過去3度の失敗を乗り越えた、大きなブレークスルーとなった。
2003年1月20日生まれ、愛知県出身の22歳 。9歳でゴルフを始め、小学生・中学生時代には県のタイトルも手にした彼女が 、壮絶な試練を乗り越え、再び夢への軌道に戻ってきたのだ。
高原花奈の物語は、単なる一人の選手のカムバックストーリーにとどまらない。それは、スポーツにおける精神的な壁の乗り越え方が、時代と共に変化していることを示す象徴的な事例である。
資料にもあるように、かつてイップスは「根性で直せ!」という一言で片付けられていたかもしれない 。しかし彼女は、テクノロジーと科学的な分析という現代的なツールを用いて、精神的な問題を物理的な課題として捉え直し、それを克服した。彼女の予選通過は、同じような苦しみを抱える多くのアスリートにとって、希望の光となるだろう。