
2025年6月20日から22日にかけて開催されたJLPGAステップ・アップ・ツアー第9戦「ユピテル・静岡新聞SBSレディース」。若手選手の育成とレベルアップを主眼とするこのツアーにおいて、30歳という節目のシーズンを迎えた一人のベテラン、鬼頭さくら選手がその経験と執念を見せつけ、ゴルフ界に深く刻まれる物語を紡ぎ出した。本レポートでは、彼女が完全優勝を成し遂げるまでの3日間を時系列で詳細に追う。
Contents
第1部:浜岡に整えられた舞台
1.1. トーナメント概要
2025年シーズンのJLPGAステップ・アップ・ツアー第9戦として、6月20日から22日までの3日間、静岡県御前崎市の静岡カントリー浜岡コースを舞台に熱戦が繰り広げられた 。賞金総額2,000万円、優勝賞金360万円をかけて108名の選手が競い合った 。コースは6,585ヤード、パー73(OUT 37, IN 36)という、パー72が標準的な日本のトーナメントでは珍しい設定であり、スコアの解釈に独自の視点を要求する 。
大会は、初日の金曜日を無観客試合とし、土日の週末のみ観客を迎えるというユニークな形式で運営された 。この静寂から熱狂へと移行する環境の変化も、選手の心理に少なからず影響を与えたであろう。
本大会の主役となったのは、愛知県出身、30歳の鬼頭さくら選手である 。彼女にとって2025年は「節目のシーズン」と位置づけられており、2023年の「大王海運レディスオープン」以来、2年ぶりの優勝を目指していた 。若手の登竜門であるステップ・アップ・ツアーにおいて、彼女の存在はベテランの矜持を示すものであった。
奇しくも同週末、レギュラーツアーの「ニチレイレディス」では19歳のルーキー、入谷響選手が初優勝を飾っていた 。鬼頭選手自身も優勝後のインタビューで、同じ愛知県出身の入谷選手に言及し、自身が「今年、ステップの日本勢で私が最年長優勝ですよね」と語ったように 、この一週間は日本の女子ゴルフ界における若手の躍進とベテランの円熟という二つの潮流が交錯する象徴的な週末となった。鬼頭選手の戦いは、単なる個人の勝利に留まらず、経験と忍耐が持つ不変の価値を証明するものであった。
初日(6月20日・金)- 静寂の中の圧巻のスタート
大会初日、観客のいない静寂に包まれたコースで、鬼頭選手は圧巻のプレーを見せた。気温26.5℃、南東の風3.3 m/sという穏やかなコンディションの中 、彼女は6アンダーを記録し、単独首位に躍り出た 。パー73というコース設定を考慮すれば、この「67」というスコアは傑出したものであり、初日から優勝への強い意志を示した。
しかし、その盤石に見えるプレーの裏では、肉体的な葛藤があった。優勝後の彼女の言葉によれば、継続的なトレーニングの結果、この初日は「筋肉痛」を抱えながらのプレーだったという 。精神的な集中力と肉体的な負荷がせめぎ合う中で、彼女は最高のスタートを切ったのである。
鬼頭選手が抜け出す一方、レギュラーツアーで13勝を誇る成田美寿々選手が2位につけ、ベテランの実力者が序盤から優勝争いに絡む展開となった 。
2日目(6月21日・土)- 高まるプレッシャー
2,898人のギャラリーが見守る中、大会2日目は新たな局面を迎えた 。単独首位からスタートした鬼頭選手は、この日も安定したプレーを展開。4アンダーをマークし、通算スコアを10アンダーまで伸ばした。しかし、その背後から大学生の上久保実咲選手が猛追し、鬼頭選手に並んで首位タイに浮上した 。最終日は、経験豊富なベテランと勢いに乗る若手の直接対決という、ゴルフファン垂涎の構図が完成した。
この日の天候は晴れ、気温26.9℃、風は南南西から3.5 m/sと、初日に続きプレーしやすいコンディションが続いた 。
この日のラウンド後、鬼頭選手が語った言葉は、彼女の精神的な成熟度を雄弁に物語っていた。彼女は「まだ2日目でしたが、少々の緊張感があった」と、首位を走るプレッシャーを正直に認めた 。
しかし、彼女の言葉はそこで終わらない。「あまり調子がよくない中での4アンダーは、自信になります」と続けたのである 。これは、多くの選手が「調子が悪い」と感じれば不安に陥るのとは対照的である。自身の最高の状態(Aゲーム)でなくとも、戦えるスコア(Bゲーム)で首位に立てるという事実は、不安材料ではなく、むしろ自信の源泉となっていた。完璧な状態を求めるのではなく、不完全さの中から確かな手応えを見出すこの思考こそ、数多の試合を戦い抜いてきたベテランのメンタリティの表れであった。
この自信は、最終日に向けた決意表明に繋がる。「あすは、ここまでの2日間の自分に勝ちたい日。とにかく勝ちたいです」 。彼女の視線は、もはや同組のライバルだけでなく、過去2日間の自分自身に向けられていた。
最終日(6月22日・日)- チャンピオンの試練
最終日は、試練の連続だった。気温は30.6℃まで上昇し、西南西から吹き付ける6.4 m/sの強い風が選手たちを苦しめた 。
最終組でスタートした鬼頭選手と上久保選手。しかし、若き大学生はプレッシャーからか「精細を欠き」、スコアを4つ落として優勝争いから脱落した 。代わって鬼頭選手の前に立ちはだかったのは、昨年の覇者、若林舞衣子選手だった。若林選手は「猛チャージ」を見せ、一時は鬼頭選手から首位の座を奪う 。試合はベテラン同士の一騎打ちの様相を呈した。
この逆境の中、鬼頭選手の真価が発揮される。彼女は派手なプレーではなく、「粘りのゴルフ」で必死にスコアを維持した 。最終日のスコアは2バーディー、2ボギーのパープレー「73」 。3日間で最も悪いスコアだったが、この粘りこそが勝利を呼び込んだ。
勝負を分けたのは、彼女のプロセスへの忠実さだった。
- 5番・6番の連続バーディー: 前半、彼女は立て続けにバーディーを奪う。5番では残り113ヤードの第3打をピンそば80cmに、続く6番では85ヤードを52度のウェッジで1mにつけるスーパーショットを見せた 。これは偶然ではない。「100ヤード以内、110ヤードの距離感をつかむため、今回も練習場でしっかりやりました」という彼女の言葉通り、地道な練習の成果が最も重要な局面で結実した瞬間だった 。
- 精神的なターニングポイント: 驚くべきことに、彼女はリーダーボードを意図的に確認していなかった。「順位を確認したわけではないから、負けていると思った」と語る 。プレッシャーを管理するためのこの精神的な規律が、彼女を冷静に保った。勝利を意識したのは、17番で5番ユーティリティのショットがグリーンに乗った後、そして確信に変わったのは、18番で2mのパーパットを沈めた時だったという 。
最終的に、鬼頭選手は通算10アンダーでフィニッシュ。猛追した若林選手を2打差で振り切り、初日から一度も首位を譲らない「完全V」を達成した 。これは自身にとってステップ・アップ・ツアー通算3勝目となる、価値ある勝利だった 。この勝利は、華麗なゴルフではなく、周到な準備と鉄の意志がもたらした、まさに「プロセス」の勝利であった。
チャンピオンの省察と未来への野心
優勝の瞬間、彼女は「正直、実感がわいてこない」としながらも、「きょうは一日、気合が入っていた」と、最終日の厳しい戦いを振り返った 。そして、観客への感謝を口にした。「みなさんの応援のおかげで優勝できたと思っているのですごく嬉しい」 。
勝利の余韻に浸る間もなく、彼女の視線はすでに未来へと向いていた。その言葉は、チャンピオンの飽くなき向上心を示している。
「きょうは、やってきたことを60%ぐらいしかできなかった」 。
この厳しい自己評価こそが、彼女を更なる高みへと押し上げる原動力である。そして、具体的かつ野心的な目標を掲げた。
- シーズン複数回優勝 。
- レギュラーツアーでの優勝 。
- そして、次なるパフォーマンス目標として「ノーボギーで優勝したい」 。
この勝利は、オフからの地道な体づくりと、「5月、6月に優勝できれば」という長期的な戦略が結実したものであった 。鬼頭さくらの3日間の戦いは、ゴルフというスポーツにおいて、経験、忍耐、そして揺るぎないプロセスへの信頼がいかに強力な武器であるかを、改めて証明した。30歳、彼女の挑戦はまだ始まったばかりである。